"0 [zero]"
ゼロ
01. No man's land (instrumental)
music & arrangement : wight
02. 睡蓮の蕾
lyrics : wight ,
music & arrangement : bassy
with IKU
03. On The Road
lyrics, music & arrangement : wight
with 柳麻美
04. +- (instrumental)
music & arrangement : bassy
05. ゆるやかな時間
lyrics, music & arrangement : wight
with IKU
06. Nega-Posi
lyrics : wight ,
music & arrangement : bassy
with 茶太
07. FFTTO (instrumental)
music & arrangement : wight
08. No.9
lyrics, music & arrangement : wight
with 霜月はるか
09. ノーマンズ・ランド
lyrics, music & arrangement : wight
with 霜月はるか
"0 [zero]"
ゼロ
「そこに在ってそこに無い」
例えば魂。
命とか意識とか存在とか。
概念としてはあるけれど、同じような
他の存在を認識する事でしか
「在る」ことを感じられないもの。
そういった類の総称として
今回のタイトルは名付けられました。
子供の頃はよく考えてました。
我々はどこからきてどこに行くのか…とか、
存在の意味とか、そもそも「在る」とは何かとか、
そういう思春期の悩みのような事をたくさん。
年を取れば物事の理解が進み、
悟りの境地に近づいていって
そういうことはどうでもよくなるんだろうなぁと。
違ってました。
混迷の度合いはますます深まるばかり(笑)。
予期せぬことが次々起こります。
ほとんどが自分に責があることとはいえ、
自らの力量では避けようがなかったことも多々あり、
そんな時、常に立ち戻らざるを得ないのです。
ここに「在る」と同時に「無い」ものの意味に。
音楽もまたこれしかり。
意識するしないにかかわらず音は昔から
ずっとそこに在るけれど、聞こうとしなければ
そこには無いのです。
同じ音楽でも、ある人の心には猛烈に響き、
別な人には全く響かないのと同じで、
全てはそこに「在って」また同時に「無い」のだなと。
一体何の話をしているのかというと(笑)、
いつもは主体(私でもあなたでも)からみた世界を
紐解くためのサウンドトラックとして
音楽を紡いできた気がするのですが、
今回は完全に音楽それ自体はどう「鳴り」たがるのかを
知りたかったのです。
方向性のかじ取りにおいて可能な限り
主体性を薄めていったら
一体どんな音が鳴るのだろう…と。
その結果はぜひ本作を聞いてみて欲しいのですが、
本人的には相当興味深いものとなりました。
あんまり詳しく言うとネタバレになっちゃうので割愛しますが、
ひとつ言えるのは
本人の意思と聞こえてくる印象は
無関係だったみたい、ということです。
落ち込んでいる時に書いたもの(曲・詩、問わず)が
すごく前向きに聞こえたり、その逆もあったりして。
どの曲がどれなのかはあえて言いませんが、
結構な割合で逆転現象が起きています。
もちろんそのままのもありますし、
「どれがどれかな?」なんて考えながら
聞いてもらうのも一興かもしれません。
閑話休題。
今回もbassyと本作の制作について
ぼんやりとアウトラインを話したりしていたのですが、
彼とはもう長いので、それほど細かく決め打ちは
していないんですよ。
にもかかわらず、あがって来た曲はどれも
恐ろしいくらいこちらで作ってたのと
マッチするものばかりで、
今まで「アルバムのトータル的に~」とか
一生懸命やってたのは一体なんだったのかと(笑)。
こういうことが彼との共作が楽しい理由なのは
まず間違いないのですが、
今回はこれも我々という主体ではなく、
「楽曲達」がそう鳴りたがったからなのかもしれません…。
てことでこの辺の制作日誌的なことは
オフィシャルブログでもぼちぼち書いていますので
よかったら覗いてみてください。
それでは楽曲達が誘う「在って無い」音世界へ
いざご一緒に…
2015/12/21
Barbarian On The Groove
(Wight)